ホモセクシャルの世界史を読む4(パレスティナ)


イタリア人イエズス会マテオ・リッチが委託して作られた木版画『ソドムの滅亡』

旧約聖書ソドムの町についてはこちらを参照聖書の文言)。
ソドムの罪が男色であるとは明記されていないようで、聖書の解釈論争では「客人の冷遇」、「来訪した旅人と虐待しようとした行為」こそ、ソドムの町が滅ぼされたとする学説もあるのだが、それでも男色のタブー視論は根強く残っている。

カナンの神殿男倡

イスラエル人が、のちに〔約束の地〕と称して侵入・定住したカナン(のちのパレスティナに相当)では、古くからメソポタミア文明の影響を受け、高度な都市文明が花開いていた。主だった神殿には神殿男娼・神殿娼婦がいて、人々から敬意を払われていた。彼らは参詣人を祝杯しつつ、聖なる奉仕に従事していたのだ。どうやらカナン人はすこぶる健全な精神の持ち主だったので、「男性は総じて男女両色を好むものだ」と信じて疑わなかったようである。

フェニキア人(カナン沿岸地方の民。セム語を話し、良港を擁して海上貿易と植民活動に活躍した)の間では、神殿男娼たちは女装している場合が多かった。また、キプロス島などフェニキア人植民地の諸都市においても、彼らは聖域を訪れる人々を相手に、男色肛交の受け手の役割を演じていた。フェニキア人では口交(オーラル・セックス)も盛んだったらしく、のちにギリシア人は「フェニキア人の行為をする(phoinikizein)」という言葉をフェラチオをする行為を指す隠語として用いるようになる

後からカナアンの地に侵入したイスラエル人やペリシア人(前12世紀、パレスティナに移り住んだ非セム系の海洋民族)らも、神殿男娼を含む先住民の宗教慣習を取り入れて、男色肛交などの性的儀礼を寺院内で営むようになっていた。こうした売春婦との性交は、あくまでも聖なる行為であって、支払った対価は神殿に納めることになっていた。

確かに、フェニキアとフェラチオは語感が似ていますね。
世界史で習う民族の名が意外なところで結びつくとは(;^ω^)
古代オリエントでは肉体交渉は神聖なる行為と考えられていたのか、神殿聖娼が
不特定多数の信徒と交わることも不貞と糾弾せず、むしろそういう儀式や儀礼と受け入れられていたとは驚きです。信仰によって売春も買春も正当化されるほど、宗教が重んじられた社会だからこそ許されたのだと思います。その証拠に、セックスによって支払われた代価は神殿聖娼個人の懐ではなく、神殿に納められていたといいます。聖なる行為は性なる行為なのか、性なる行為が聖なる行為なのか。鶏が先か、卵が先かわからなくなってきますが、現代人の性の価値観が必ずしも正しいものではない、ということは言えますね。
[the_ad_placement id=”%e6%89%8b%e5%8b%95%e3%81%a7%e9%85%8d%e7%bd%ae”]

ダビデとヨナタンの恋~旧約聖書のボーイズラブ~

イスラエル初代の王は「イスラエル第一の美男」サウルだったが、その跡を継いだのは彼の息子ヨナタではなく、ヨナタンの愛人のダヴィデだった。

ミケランジェロ作「ダヴィデ像」。
ダヴィデはエルサレムを建設し、ヘブライ王国の栄華を極めた王。

アーンシュト・ユーセフソン作。
右側にいるのがサウル王。悪霊に悩まされる王を琴の演奏で癒すダヴィデ。

旧約聖書に納められた古代ユダヤの歴史書『サムエル記』には、後世のユダヤ教徒による入念な検閲的編纂を経たにもかかわらず、王子ヨナタンと若きダヴィデとの友愛が、まぎれもなく克明に描かれている。エッサイの息子ダヴィデは、「血色の良い顔で、目が美しく、体格も立派な人であった」という。10代にして敵ペリシア軍の巨人ゴリアトを5つの石と石投げしただけで倒したダヴィデを、「王サウルはたいそう気に入り、その日から召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった」。王の息子ヨナタンもまたダヴィデに魅了され、「ヨナタンの魂はダヴィデの魂と結びつき、自分自身のようにダヴィデを愛した。そして、彼と契りを結び、着ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を剣・弓・帯までをも与えた」とヘブライ語聖典には記載されている。
ところが、ダヴィデが次々と軍事的功績をあげて王に勝る人気を博するのを知ると、サウル王は猜疑心にかられはじめる。王は、彼を殺してしまおうと何度も企てる。しかし、その都度、ヨナタンがダヴィデを庇って事なきを得たため、怒ったサウルは息子に向かって癇癪玉を破裂させる。
お前がエッサイの息子(ダヴィデ)を選んで自分の身を辱め、恥をさらしているのを、私が知らないとでも思っているのか!
と、二人の男色関係をなじるありさま。この腹立ちまぎれのセリフは、どこか愛人を息子に奪われた嫉妬の感情さえこもっているように響く。

父の怒りを買ったヨナタンは、宮殿を飛び出して野原に赴き、父王に隠れて、心底愛しているダヴィデと密会を重ねる。「彼らは口付けし、ともに泣いた。ダヴィデはいっそう激しく泣いた」。

のちにサウル王とヨナタン父子は、ペリシア人との戦いでギルボア山において戦士を遂げるが、独り残されたダヴィデは感動的な哀悼の詩を歌って嘆き悲しむ。
「ヨナタンは、イスラエルの高い丘で刺し殺された。貴男(あなた)を思って、私は悲しむ。兄弟ヨナタンよ、貴男は私にとって真の喜び。貴男が私を愛するのは世の常のようではなく、女の愛にまさる驚くべきものだった」。
ここに語られているように、”イスラエル最高の英雄にして偉大な国王”ダヴィデとヨナタンとの間の念契は、ギルガメシュとエンキドゥとの場合(古代メソポタミアを参照)と同様に賞賛され誇らかに語られることはあっても、何ら非難されることはなかったのである。

ここまで情熱的なBL作品が旧約聖書にあるというのに、なぜユダヤとそこから派生したキリスト・イスラムは頑なに同性愛を拒むようになったのか。男色を禁じると解する信者達は、ダヴィデとヨナタンの恋をどう理屈付けるのか?2人の愛は友情の域とでもいうのだろうか?はたまた、ヨナタンは地獄に堕ちたとするのだろうか?そんなことはない。ダヴィデとヨナタンの崇高な愛は天に召されたあの地でもとわに続いているはずだ。

ホモセクシャルの世界史に戻る

コメント