同性婚訴訟判決文記録—大阪地裁令和4年6月20日—

同性婚訴訟2件目の判決です。
判決文はコチラ→PDFファイル
札幌は8ページでしたが、大阪は判決理由の最後が42ページと長めです。
頑張ってまとめました(;´Д`)

札幌地裁の記録はコチラ。

同性婚訴訟判決文記録—札幌地裁令和3年3月17日—
記録用に残しておきます。 判決文は難解ですが重要箇所に下線部をひきつつ、なるべく噛み砕いて記そうと思います。 読解がキツイと感じた方は、下線部だけ読んでみてください。 判決文の全文はコチラからどうぞ→PDFファイル まず、はじめにツ...

まずは主文です。

原告の敗訴でした。まあ想定内です。。(-_-;)
認定事実はまとまっていて面白かったのですが、
ここではパスして判決理由を精査します。
全体的には『確かに』との前置きで一定の譲歩を見せつつも、
『しかし』の連発で原告の主張をことごとく否定しています
とりわけ、最後の方(24条2項および14条)は結論ありきな印象を受けました。
判決文の読解は難解なので、苦手な人は下線部だけを読んでください。

憲法24条1項の違憲性


同性婚の話題になると何故か婚姻制度不要論がささやかれるときもありますが、家族観が多様化する現代においても法律婚を尊重する意識は広く浸透しているので、婚姻をする自由は十分尊重に値するとしました。これは過去の判例を踏襲しています。

①よく問題視される『両性』の文言についてです。「両方の性」と読み替えられる意見もありますが、『両性』といえば通常は男女を意味するものとしました。
②民法の制定過程において、婚姻は異性間で行われることが前提にあり、
当時は同姓婚を想定していなかったことが挙げられています。
③憲法24条が定められた時点においても異性婚が当然の前提にあったとしています。
以上により、憲法24条1項は異性婚のみを指し、同性婚を含まないとしました。
文言の文理解釈と民法・憲法の制定経緯がその根拠でした。

いまだにネットでは「憲法改正しないと同性婚ができない」との声が多いですが、
札幌地裁と同様に、本判決も24条1項が同性婚法制化を妨げるものではないと判示しています
さらに、今回は同項の趣旨(封建的な家制度の否定)にもきちんと言及しています。
巷では既に言われていた内容ですが、ここは素直に嬉しかったです。

憲法13条の違憲性


13条(幸福追求権)は新しい人権の根拠となる包括的な人権規定です。
同性婚をする自由は13条が保障する人格権に含まれないとしました。その理由ですが、どのような婚姻制度をつくるかは憲法24条2項に基づき法律で定められるべきもので、憲法24条およびこれを受けた民法では異性婚の定めしかなく、同性間の婚姻に関する規定がない以上、かような人格権は観念できないとのことでした。

法律の勉強から遠ざかってしまってうろ覚えなのですが、25条(生存権)に出てくる、具体化された法律がないと司法に訴えることができないとする抽象的権利説に近い印象を受けました。婚姻をする自由が個人の具体的な権利ではなく制度的保障であるが故に、13条を直接の根拠として立法義務を導くのは難しいのかもしれません。

憲法24条2項の違憲性

同条1項や13条には反しないものの、婚姻から享受し得る利益は尊重されるべきであり、仮にそれが憲法上保障された権利とまではいえないものであっても、同性カップルが当該利益を享受できない点が立法裁量を逸脱しないかについて検討しています。
この部分がかなり長文でしたが、個人的にアレ?と疑問点の多い箇所でもありました。

現行の婚姻制度が異性間に限定する趣旨は、単なる二当事者の関係ではなく、子を産み育てることを念頭においた男女の関係に法的保護を与える点にあるとしています。伝統的な家族観がそのまま反映されています。

一方、原告は婚姻の目的は夫婦の共同生活の法的保護にあり、子の養育だけを保護の対象とする現行の制度には合理性がないと主張しました。『確かに』から赤線の上の部分までで大阪地裁も子をもうけるか否かで夫婦の法的地位の区別をしていないことや、家族の形態や在り方が多様化している点を認めています。これに対する裁判所の反論が『しかし』以下の記述で、前述した伝統的な婚姻の意義(子の養育を保護)は失われていない…

婚姻の本質が子の養育か夫婦の共同生活か。これからの同性婚訴訟でも大きな争点になると思いますが、二者択一ではなく、「当初の制度目的は子の養育がメインだったが、現在は夫婦の共同生活の保障にも重きが置かれている」と柔軟に判断することは可能なはずです。多様な結婚観がみられ、実際そのように運用されている本件諸規定(現在の民法・戸籍法)の趣旨は現在時を基準に捉えることもできます。24条1項もそうでしたが、だいぶ前の法案制定時を基準にし過ぎていますそれに、『互いに両立し得るもの』とするのであれば、なおさらいずれか一方でなくても良かったはずなのに、なぜ生殖目的の婚姻に限定したのでしょうか。昔とは別の目的があるとの話に、「昔からある目的は失われていない」との指摘だけで昔の目的に限定する流れは的を射ていない反論だと思うのですが。

①現行制度でも『同性のパートナーと婚姻類似の結合関係を構築、維持』とありますが、具体的に何を指しているのでしょうか?『婚姻類似』ともっともらしい表現ですけど意味がわかりませんでした。『共同生活を営む自由が制約されているわけではない』との表現から同棲のことでしょうか?友人同士や上司部下とも同棲はできますけど、そんな当たり前なことを理由の1つにカウントする裁判官に唖然です。権利義務に裏付けされる関係か否かかが重要なのに『婚姻類似』はよくわかりません。

②『さらに』以降で紹介されている代替手段も確かにありますが、別の制度で我慢せよというにはまず先に中身のある根拠を述べてから補助的に付け加えられるべきです。原告側から主張されたかどうかはわかりませんが、任意後見人契約等にかかる公正証書の作成は手間や金銭が結構かかります。

現実的に同性カップルが享受困難な利益の例が挙げられています。
ときおり、もっともらしいことも言うのですが、ここから原告への否定ラッシュが始まります。
(全て拾い上げるのはしんどいので絞ります)

婚姻以外とは別の制度で代替しうるとの見解です。
おそらく原告が婚姻の平等にこだわり、パットナーシップ制度を求めていない姿勢に反応したのかもしれませんが、前段落で同性カップルが享受するのが困難なケースをおもんぱかったのに、その直後でまだ実現していないパートナーシップ制度を引き合いにしてきた展開が正直不可解です。普通は「同性カップルはかくかくしかじかの利益を得られていない。この現状を放任しつづける事態が立法裁量を逸脱しているか」という流れになると思ったのですが、何を長々と書いているのだろう??と読み進めてみると、どうやら、「同性カップルの法的保護は婚姻以外にもパトーナーシップなどいろんな手段があって、どうするかは民主的過程で決すべきなんだけど、『議論が尽くされていない』から立法裁量を逸脱していない」という結果の導出でした…。結局、先ほど紹介された同性カップルが享受困難な利益の享受は我慢せよ、と間接的に無かったことにされた感じです。

あと、『多くの同性カップルがこの制度(法律ではなく地方自治体の登録パートナーシップ制度)を~希望して利用している』とありますが、パートナーシップに登録している当事者の多くは平等な婚姻を夢見ており、現状はこれしかないので仕方なく登録しているとは考えられなかったのでしょうか。というか、『法律上の制度ではないものの』と断りは挿入されているけど、現行の婚姻制度とは別の類似の制度創設の流れで自治体の条例や要綱を持ってきたのが腑に落ちない。”パートナーシップ”と同じ名前がついても、両者の法的効力や安定性は雲泥の差です。

個人的にかなりひっかかりました。
大阪地裁の考えは、同性カップルの婚姻は憲法上保障された人権ではない+婚姻類似の制度を含めたは多様な実現方法がある⇒よって、多数決原理(民主的過程、つまり政治問題)に委ねるべきとの理屈をとっています。確かに、司法府が立法府の判断に干渉し過ぎると三権分立の観点から宜しくないので、政策判断については判断を引っ込めるというのはよくある話です。

ですが、少数派に関する利益は、たとえそれが憲法上保障の要請がされていない利益であったとしても、少数であるがゆえに多数決の原理で簡単に押しつぶされてしまいます。日本は宗教的な問題が絡まないからか、同性婚に賛成してくれる方々が他国と比べると多い印象を受けますが、多くの人にとっては身近な問題ではありませんので、賛成といっても「あっても良いのでは」程度のライトな賛成が多いように思えます。

国民の意思を政治に反映させる重要な局面は選挙です。来月には第26回参議院選挙を控えていますが、現在、テレビでやっている党首討論では、専ら安全保障や物価高騰の救済策が争点になっており、そればかりが報じられています。多様性のなかで同性婚が少し紹介されるときもありますけれど、明らかに扱いは小さいものです。心の中では同性婚に賛同している多くの人々は、いざ選挙になれば同性婚以上に自分が関心のあるテーマで投票判断をするので、結局、意識調査のアンケートで過半数の賛成があっても、実際の選挙で同性愛者の利益を代表してくれる国会議員が増えるとは限らないのです。マイノリティーに関する法案を多数決の世界で通過させることは容易くありません。事実、国会のほうではLGBTに関する審議すらストップしています。同性婚に否定的な保守政党の一党優位体制が長期にわたっている現状を鑑みれば法制化の道は程遠く、『多数決の原理の下においては期待できないとは必ずしもいえない』と気軽に言えるはずがありません。実現困難であるのを見越したうえで立法裁量に丸投げしたようにも思えます。

率直に言うと、少数派の利益に関わる制度を、あたかも不動産規制や税制といった他の政策事項と同じテーブルに並べて司法と立法の役割分担論に落とし込む手口が、憲法の教科書に書かれてある通りの典型的なパターンで安直だなと思いました。この裁判官は価値観が激しく衝突し合う多数決の世界で少数派の意見がどのような感じで封殺されていくのか、社会の実態がわかっていないのだと思います。いくつかの意識調査に出てきた数値をもって制定化の兆しがあるとするのはぬるい考えです。

①法律はそんな簡単に改廃はできないので、立法不作為にかかる違法性は相当の期間が経過しなければ認められません。LGBTというワードが爆発的に認知された年度は、渋谷区の条例制定と電通の調査結果が公表された2015年ですから、7年で婚姻制度を変えよというのはさすがに無理があるとは思います。
②札幌地裁でも否定的な意見をもつ国民の存在に言及されましたが、大阪地裁は高齢者に反対派が多い点だけでなく、無回答が一定数いるだとか、「同性婚」の用語の定義が一意的ではないだのアンケートの中身をさらにとっついています(先ほどはアンケで賛成が多いから民主的過程でも兆しがあると言ってたのに)。『60歳以上では肯定的な意見が約47%であるのに対しなお約43%余の者が否定的な意見を有しており無回答も一定程度存在している』と具体的な数値を引用していますが、そういった多数決の判断で押し切られるからこそ、少数者の人権の最後の砦である司法の役割を果たすべきなのに、裁判所自身が多数決主義的な論を展開しています。というか、反対派の多い高齢者層でも半数弱の賛成があって反対はそれより少ない結果でもダメというのであれば、全世代で最低7~8割以上の賛成がなければ動いてくれない勢いを感じます。

同性婚は国民の結婚観や男女観に影響は与えるので慎重に判断すべきなのはわかります。しかし、少数派の利益が絡む事案に国民全体のどのくらいが賛成/反対しているのか、その調査結果は判断の一要素として考慮するにしてもし過ぎるのは不当です。札幌地裁では14条との兼ね合いで否定的な国民がなおいる点については限定的に斟酌すべきとありましたが、判断のアプローチは札幌が適切だと思います。

個人的な感覚になりますが、賛成が過半数を占め、反対が3~4割以内に抑えられていれば、数の話では及第点ではないでしょうか。果たしてどの程度のコンセンサスを得られれば良いのか不透明な状態でアンケートの細かい数字を拾い上げ、それほど反対者も多くない結果なのに、積極的な違憲審査を講じて民主的議論の後押しすらしてくれない大阪地裁の態度に疑問を感じます。

『現時点で法改正や新たな制度を設けることの具体的な検討がされていないからといって、必ずしも同性愛者の婚姻に関する権利が少数派の人権であるがために、その検討が遅れているとまではいえず、国会における今後の議論がおよそ期待できないということはできない』とおっしゃいますが、”具体的な検討がされていないけど検討が遅れてはいない”とはよくも言えたものです。判決文ではときおり『弁論の全趣旨』との文言がチラホラ見えたのですが、どこの趣旨を見ていたのでしょうか。

結びの部分では『将来的に憲法24条2項に違反するものとして違憲になる可能性はあるとしても』とよくある一定の譲歩が添えられていますが、下級裁判所に違憲審査権を認めた憲法81条の精神に照らし、せめて違憲の警鐘はもう少し鳴らして欲しかったです。及び腰でガッカリしました。

憲法14条1項の違憲性


結論が先にきています。
24条1項は同性婚を禁止してはいないものの、異性婚をターゲットにした条項であり、同性婚については言及がいない以上、『異性間の婚姻と同程度に保障しているとまではいえず』、14条1項に違反しないとしました。

24条1項が同性婚の保障を要請していないとしても、別の条文である平等原則に関して新たな視点が提示されず、24条1項で示された理由がそのまんま挙げられています。札幌地裁では同項が異性間を対象としながらも、14条判断で『同性愛者が婚姻によって生じる法的効果の一部すら享受できない』実態を踏まえ、立法府の裁量権の範囲を超えたものであるとしましたが、大阪地裁は以前に出てきた理由を使いまわし、形式的にあっさりと一蹴しています。

法の下の平等に反するかどうかの判断は、差別を受けている者たちが実社会でどのような不利益的な取り扱いを受けているのか、札幌地裁のように実態面に比重を置いて判断すべきテーマだと思うのですが、大阪では専ら文理解釈と制定経緯から導かれた別の条項の趣旨に依存しています

最後の最後でワケわからん(´°ω°`;)
①ここらへんも前述の使いまわしです(書くのが億劫になったのでしょうか)。
異性婚は生殖して子を生み育てる目的により完全に社会に定着した制度である一方、同性カップルの保護については議論の過程にあるとしています。なんか同性婚の否定ありきで、専ら生殖目的をわざわざ持ち出して対比させた感じが否めません。
②先にもありましたが、別に友人同士でも上司部下でも同棲ができるのは当たり前の話で、ことさら根拠になりません。代替手段もありますが、公正証書の作成は楽ではありません。自筆証書遺言で相続させることはできますけど、遺言状無くして急死した場合のリスクは大きいのでは?(遺言状を作成保存している異性の夫婦が多いと思えない)。法定相続人ならば法的地位がだいぶ安定しますし、配偶者として遺留分減殺請求も行使できます。配偶者ビザなんか自治体レベルでは絶対に不可能です。この裁判官は『確かに』の前置き部分では『同性間の婚姻制度どころか、これに類似した法制度さえ存しないのが現実』で異性愛者が婚姻で享受している様々な法的保護や重要な人格的利益を同性愛者は享受できていないとおもんぱかるフリをするのですが、『しかし』以下で自分のターンになると吟味に吟味を重ねることなく雑にあしらってきます。
③登録パートナーシップ制度で支えられている人も事実ですが、同時に法律がない現状ではなけなしの制度にあずかる他ないのです。国民の理解の浸透をもっても、それが法的保護を受けられない不利益をどの範囲まで緩和しているのでしょうか。この判決文の10分の1程度の文字量でよいのでもう少し具体的に書いて欲しかったです。
④また何を指すのか不明な『婚姻類似』が出てきましたが、とってつけたかのようなオマケで主張は補強されません。

24条1項では同性婚の保障がない。でも禁止もしていない。そこで14条ではどうか。という流れで、「24条1項は同性婚はノータッチだから14条もこれに連動して違反無し」では堂々巡りではないでしょうか…。平等原則は表面的な判断でなく、社会実態を複眼的に見て斟酌すべき論点だと思うのです。24条1項の根拠が『両性』の文言とだいぶ昔の法案制定時の事情でしたけど、なぜ訴えが提起された平成31年(2019年)の状況に1ミリも配慮が及ばないのでしょうか。『確かに』のうしろではなく、『しかし』のうしろで書くべき要素です。24条2項の話では民主的過程の兆しアリ!と、それが中身を伴っていないものであっても現在を見ていたのに、14条で逆戻りしたのはご都合主義な感じですよね。

婚姻制度は多様な観点から考察すべきとか、アンケートでは数字や用語にさんざん細かく突っ込んでいたのに、当の本人が14条判断で別視点を付けることもなく単眼的で、挙げられた理由も前述の使い回しばかりと要所で粗さが目立ちます。
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同性婚の制定は憲法上禁止されてはいないものの、憲法改正を通じて実現すべきとの意見があります。『両性』の問題を回避できますし、憲法改正に乗り気でない野党も24条の改正については同意していたはずです。

しかし、私が憲法改正による法制化に懐疑的なのは、同性婚に関する民意がきちんと反映されない恐れがあるからです。参院選挙の討論でもネット世論でもそうですが、憲法改正というと9条ばかりが進んで取り上げられます。同性婚が他の論点に巻き込まれるのです。

総務省では国民投票の投票用紙が紹介されています。

9条についての賛否、24条についての賛否、26条についての賛否…と個別に問うのではなく、改正案すべてにおいて〇か×しか投票できません。現行の憲法でも103条ありますから、1つずつを記入するのは現実的でないのでしょう。そうすると、先ほど書いた通り、いくら同性婚に賛成な人でも、その人の中で優先順位が低ければ、同性婚が端に追いやられるのは目に見えています。多数決の原理のなかで少数者の利益を叶えるのは、こういった事情から非常に困難なのです。

また、自民党の憲法改正草案の24条ではこのように記されています。

『両性』の文言が2項で残っているだけでなく、あまつさえ『夫婦』が追加されています。同性婚を禁ずるといわんばかりの草案です。もちろん、プライドパレードやマリフォー国会に出席してくださる自民党の議員さんもいますし、これからも草案の内容を変える運動が行われるでしょうが、これまでの自民党の姿勢や各政党の議席数のバランスを鑑みると、この草案のまま押し切られる可能性が高いように思えます。憲法改正に前向きで、かつ同性婚に賛成である維新や国民民主を含めて訴えかけたとしても、自民党という巨大政党、とくに自民の重鎮や背後にいるフィクサーの何割かが首を縦に振らなければとても厳しいと思います。(例:日本会〇とか神道政治〇盟)ベテラン男性議員や社会的権力を持つ中高年男性にはパートナーシップも許さない、それ以前に同性愛が健全ではなく受け付けないとする人も多そうです。いくら意識調査で国民の賛成がさらに増えたとしても同性婚の法制化はかなり難しいでしょう。ですから、ハードルの低い法改正をもって早期の実現を図る道はとても重要で、憲法改正はそのあとからでも良いのです。制度の創設を先行させて理解が増進する効果も見込めます。

ヤフーコメントやツイッターネットを見渡しても、『同性婚には憲法改正が必要だ』と明らかに内容の誤ったコメントがいまだに書き続けられ、かなりのイイネが集まるときがあります。大阪地裁でも札幌地裁でも24条1項が同性婚を禁ずるものではないと明言しており(そもそも被告の国側も禁止と捉えていないので主張すらしていない)、憲法改正を経ずに法律レベルの改正でできますよと訂正する方もいるのですが、それでもなお書き続けられ、賞賛を浴びているのは、同性婚が憲法改正の道具として扱われ、さらに改正必須とみなせば同性婚の成立が実現困難であるのを期待して法案をお蔵入りさせる思惑があるからではないでしょうか。実際、同性婚反対派の手段として憲法改正必須を主張する人は少なくありません。判決の誤読というより故意でやっています。

そもそもマイノリティーの利益に関わる制度を多数決原理にのせることが不適切だと思います。LGBTはメディアに取り上げられる機会が増えているとはいえ、肝心の国会の場では少数派の声はいとも簡単に消し去られています。大阪地裁の担当裁判官はそういった現実を知らないのでしょう。だから、どことなく型にハマッた司法修習生の優秀答案のような判決内容になるのです。

法律は現在を生きる人々のために存在するものです。いつもは気にしないけど、何かトラブルが起きたときに浮上してくるもので、実際的・現実的な見方が非常に大切だと思います。そのため、判決文ではよく『社会通念』という言葉が使われるのですが、本判決では法案制定時の事情ばかりに専念し、今現在の実態を重視する気概が全く感じられませんでいた。大阪の裁判官は有斐閣の本ばかり読むのではなく、もう少し世の動静を直視してもらいたいものです。                                                                                                                                                                                                                            法律に戻る

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