ホモセクシャルの世界史を読む3(エジプト神話とファラオ)


古代エジプト新王国(前1570-1070年頃)の奉献品。
勃起したペニスを突き出すミン神の浮き彫り。
レタスを切ったときに出てくる白乳色の汁が精液を連想させるため、精力増進作用があると考えられたレタスが供物として描かれる場合が多い。

エジプト神の情事

エジプト神話のなかで最も有名な男色カップルといえば、ホルスとセトであろう。第六王朝のファラオ、ペピ1世のピラミッドから発見された記録によれば、ホルスとセトは古くから「聖なる兄弟」と呼ばれていた。そこには「ホルスはセトを犯し、セトはホルスを犯した」と記されており、彼ら二人が相互に男色肛交し合う仲であったことが克明にされている。しかし、ホルス崇拝の台頭を受け、セトとホルスは兄弟から叔父-甥の関係に変化をする。父オシリスが冥界へ去った後、王位継承を巡って二人は激しく争いあう。
第一九王朝のラーメス五世の治下(前1160頃)に書かれた『ホルスとセトの争い』神話において、セトはホルスに誘い掛け、それに快く応じたホルスと一つ床に共寝し、彼を肛交しようと、「勃起させた男根をホルスの腰の間に押し込」む。ところが、ホルスは「自分の腿の間に両手を置いて、セトの精液をつかみとった」という。つまり、ホルスは股間交(すまた)をさせて、肛門を犯されることを巧みに避けたのである。にもかかわらず、セトはしてやったりとばかりに、神々の法廷の場で「私はホルスを戦争捕虜の慣わしに従って鶏姦し屈服させたのですから、支配権は私のものです」と主張する。これを信じた神々はホルスの面前で唾を吐きかける。当然、ホルスは恥辱を被ったままではいなかった。彼は事前に母イシスの入れ知恵にしたがって、自慰によって放出した自分の精液を、セトの大好物であるレタスに混ぜて、うまうまとセトに呑ませていたのだった。つまり、セトはホルスに妊娠させられ、支配されたこということになる。そこで、神々の書記トトが「でてこい、ホルスの精液よ!」と呼ばわると、セトの頭上からそれが黄金の太陽円盤の形となって生まれ出たという。かくしてホルスは、セトによって屈服させられたという嫌疑を無事回避することができたのである。

このように時代がくだり男尊女卑の傾向が著しくなると、男色肛交の受け手側は、「女の役割」を演じたという意味合いで、”王者にふさわしくない男性”として軽視されるようになる。他方、挿入する側はというと、男性優位の社会において、「男の役割」を果たした者として称賛を受けるようになるのである。この挿入される側を蔑視するという偏見は、以来、歴史時代を通じて地中海周縁の文化圏に、ほぼ共通して見出される特徴となる。

…精液ドレッシングや精液召喚とそこらへんのBL小説よりなかなかの刺激的な作品ですが、神々にこれをやらせるということは男色が疎んじられていたならば書けませんね。
スマタでしてやったりのセトは、きっとナニが小さかったのでしょう。擦るだけで満足するだけでなく、得意げに相手を支配した気になっているのですから。肝っ玉もマラを小さい男の見本市みたいなものです。孕まれて当然

1946年、エジプトのサッカーラという場所で二人の青年男性の合葬墓が発見されました。埋葬されていたのはニアンククヌムとクヌムホテプで、彼らはエジプト古王国第五王朝の国王と、ニウセルラーの美容師として仕えたカップルだそうです。国王の頭部にハサミを向ける職業ですから、二人は裕福で身分の高い地位にいたと思われます。墓の内部には性交シーンはないものの、二人が仲睦まじく歩いたり、互いに抱擁しあって鼻と鼻を吸い寄せ、見つめあう情景が写されたレリーフがいくつか刻まれているそうです(前2400年頃)。

性交渉の受け手側が攻め手の下位に位置づけられるのは、日本の衆道においても将軍は必ず仕手役(タチ)であった点と似ています。国王や大名が女役を演じるのは分不相応。男社会の序列を守るという契りの意味合いもあったのでしょう。ただ、性欲は人の基礎的な欲望ですから、身分のしがらみに囚われず、忍びながら奔放に享楽を味わっていた方もいらっしゃったと思います。

ファラオの情人は凛々しい将軍

古代エジプトの文学作品では、エジプト古王国で最も長く玉座に君臨したファラオ(国王)はペピ2世が成人男性同士の契りを交わした物語が残されている。
若い頃のペピ2世は夜な夜な家来を伴わずに、国王ただ1人でそっと宮殿を忍び出てゆくというのだ。
ヘヌトの息子テティという者が王に気付かれないように後を尾けてみたところ、果せるかな、王は高位の将軍シネセの家の前まで行くと、煉瓦を1つ投げつけ、足で地面を踏み鳴らして、しきりに邸内に合図を送っている。見れば、ハシゴがするすると降りてきて、王はそれを登って家内に入り込んでいく。テティが待っていると、四時間が過ぎた頃になって、ようやく将軍と事を済ませた王が屋敷内から姿を見せ、朝まだきのうちに応急へと戻っていった。王の夜事の密会の相手というのは、未婚で独り暮らしの将軍シネセだったのである
4時間も何をやっていたのか気になりますが、淡々と事務処理をするのではなく、濃密で丹念な時間を過ごしたことでしょう。ちなみに、国王と将軍の情事は当時かなり有名だったらしく、中王国時代になってからも、この密会物語は広く流布して、パピルス文書にバッチリと記録されていたようです(プププ)。
なぜこんなことを遺したのかわかりませんけど、記録官には感謝したいですね(笑)
有名人の情事はいつの時代も人口に膾炙するもので、三千年経った今でも耳に入るのですから、高貴な者ほど迂闊なことはできませんな(´w`)
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