ドラクロワ作・サルダナパロスの死
サルダナパロス(サルダナパール)はアッシリアの大王アッシュールバニパルと同一人物だとされる。
反乱によって死を悟った王は、快楽の相手であった女性たちを殺害するよう、家来たちに命ずる。
絵画では女体が目立ちますが、彼は宦官(去勢した男性の使い)に女装や化粧をさせて、男女ともに快楽に耽ったそうです。
男色記はシュメールから始まる
世界最古の英雄叙述詩といわれるシュメール文学『ギルガメシュ叙事詩』プロローグのあらすじ。
古代シュメールの大都市ウルクの支配者ギルガメシュは三分の二が神で三分の一が人間という容姿の優れた英雄王であった。比類ない武勇を誇る彼は、やがて横暴な君主となり、初夜権(夫よりも先に夫の妻と性交することが許された統治者の権利)を行使するだけでは飽き足らず、臣下や市民の娘や息子を1人残らず奪い取っては性の対象として弄びはじめる。その暴君ぶりに耐えられなくなった市民が天の神に救いを求めると、神々はエンキドゥとよばれる毛深い野生の闘士を送り込み、ギルガメシュと戦わせる。しかし、勝負はつかず、二人は互いの力を認め合う親密な友人となる。
あるとき、ギルガメシュに魅了された女神イシュタルが彼に求愛するが手厳しく断られてしまう。袖にされた女神は報復として父神に頼んで天の聖牛グガランナを地上につかわし、ギルガメシュとエンキドゥに襲いかからせる。エンキドゥはこの牛を殺したせいで病魔にかかり、12日目に息を引き取る。親友の死を激しく嘆き悲しんだギルガメシュは、哀哭流涕しながら野をさまよい、永遠の生命を求め、旅にでていく…
(画像は古代メソポタミア、ウルク第一王朝(前2800-2500年頃)の五代目支配者ギルガメシュ)
ギルガメシュとエンキドゥに肉体関係はあったのか。明示はないが、それとわかるような示唆がある。例えば、アッシリア語版を解読すると、ギルガメシュはエンキドゥの出現を予知する夢をみて悦に浸り、「私は彼を妻のように愛し抱擁する」と記されている。エンキドゥの臨終にあたっては「滝のように涙を流しつつ、泣き女さながらに烈しく泣き叫び」、”友”が息を引き取ると「花嫁にするかのように薄布(ヴェール)をかけ」るなど、友人を越す関係性があったことを伺わせる。
さらに、違う版ではギルガメシュはエンキドゥの遺体が腐敗しはじめるまで抱擁をしつづけて埋葬を許さなかった、唯一無二の愛する友のために記念碑を建てさせたなどと記されている。
実際、ギルガメシュは女神よりエンギドゥとの交友を好んでおり、そのせいで女神から顰蹙を買って妬まれた。二人の男の間柄は男女の情愛を凌駕するほどのものであった。
ギルガメシュ叙事詩は、その後バビロニア、アッシリアと何千年にもわたって人気を博し、ヒッタイト語やフリ語、一部はギリシャ語にも翻訳されて、地中海世界で広く愛読される。
神殿男倡
古代メソポタミアでは、男色と女色を区別することなく、性愛を楽しんでいたそうです。
売春婦(夫)もいたし、性の相手となる召使いもいました。
神殿では、なんと売春神官がいて、性的な奉仕をする者が仕えていたとか(;^ω^)
神聖な場所なのに、いや、神聖な場所だからか。
著書では、彼らが信者とどのような体位で性交したのかとの興味深い推察が刻まれてます。
当時の物であろうとされる素焼きのレリーフには、男が背を向けて性行為、いわゆる後背位の肛門性交が写し出されています(しかも、ストローでビールを飲みながら)。ですが、筆者は、このレリーフが描かれた様子は神殿ではなく、一般の居酒屋の風景だと説きます。というのは、メソポタミアでは主人が召使に対して、あるいは知り合い同士で男性が性行為を営むことは格別なことではなく、むしろ広く親しまれていたことが記録に残っているらしいのです。
ここで、彼らの名前に注目します。神殿男倡で最も古いとされるのは、前3000年中ごろのシュメール初期王朝のガラ神官。どうやらガラ(gala)という言葉は、ペニスとアヌスの合字で表現されていそうで、男性神官の別称であるアッシンヌは「肛交(アナルセックス)をする」という動詞、アッシヌトゥ(assinutu)と語根を共有しているとのことです。ここから、彼らは信徒の受け手を演じていたと考えられます。
セックスと宗教の関係が公然の儀式のように扱われていたことに驚きを隠せませんが、神殿男倡のナニや穴を目的に信徒が募り、ときに権力者の相手として仕えることで、神殿の経営は大きく繁盛したのでしょう。
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