同性婚は憲法24条に違反するか

法律関係者ではないが、かつて法学をかじった身としての私見。
なるべくわかりやすく、かつ専門的なことを書こうと思う。
(1万字以上あるので、読了はお時間のあるときをお勧めします)

◆条文

憲法24条1項
『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない』
2項
『配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。』

→家族生活における個人の尊厳と両性の平等を定めた条文。
『両性の合意のみ』に引っかかり、同性婚の合法化は憲法違反だとする声は少なくない。

◆要請説・禁止説・許容説

24条を紐解く前に、憲法の基本書を読んだことのない人に知っておいてほしい知識がある。
それは外国人の参政権に関する話(右派の人は一度頭を冷やして聞いて欲しい)。
国政選挙において、外国人に参政権を与えることは国民主権原理から違憲となる。
しかし、地方選挙においては争いがあり、学説が分かれている。

・要請説(積極的肯定説)
憲法は在日外国人に地方参政権の保障を要請している。
→国民ではなく住民レベルでは生活実態として日本人と同一であるから。
・禁止説
憲法は在日外国人に地方参政権の保障を禁止している。
→国民主権原理からの帰結。
要請説であれば在日外国人に地方参政権を認めないと憲法違反、
禁止説であれば在日外国人に地方参政権を認めると憲法違反となる。
AかBかの二律背反構造で理解しやすい。
しかし、これとは別に第三の説がある。

・許容説(消極的肯定説)
在日外国人の地方参政権を人権として保障の要請も禁止もせず、憲法は外国人に地方参政権を与えていることを許容している、という考え。
この説では、立法府の立法裁量によって決断すべきとする。
それを認める法律があれば認められる、法律がなければ認められない。
はじめてこれを知る方には技巧的な説明に思われるかもしれないが、実は、最高裁はこの許容説を採用している。
判例なので読解に苦労します↓無理そうな方はパスで。

最判平成7年2月28日
『・・国民主権の原理及びこれに基づく憲法15条1項の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法93条2項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。
(中略)憲法第8章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関係を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関係を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。』

判例百選にも登場する重要判例。
”権利として保障はされていないが、憲法上、禁止されているわけでもない”。
やるかどうかは司法はタッチしない。政治部門である国会に任せるという手法を採っている。
そして、国会では国政と地方自治の一体性などを理由に、在日外国人の地方参政権に関する立法を行っていないので、在日外国人に地方参政権は認められない。
(なお、住民投票における投票資格でも最判14年9月27日で、自治体の住民投票に外国人が参加できないことは自治体の立法政策の問題であると判示している)

◆憲法24条1項

憲24条も前述の3つとパラレルに考えると構造が見えやすい。
・要請説
同性カップルの婚姻権は憲法で保障を要請される人権の一。
・禁止説
同性カップルに対する婚姻権の付与は憲法で禁止されている。
・許容説
憲法は同性カップルの婚姻権を保障もせず、禁止もしない。

要請説は積極的に同性婚の存立を肯定するので左派が多い。
同性婚の不存在を憲法違反だと指摘する。
対して、禁止説は『両性の合意のみ』の文言に注目し、両性は一般的に男女を指すのだから異性婚を示し、憲法は同性婚を認めていない(→同性婚を禁止している)、との言説が散見される。主に右派が多い。
同性婚の合法化は憲法違反となるので、憲法改正手続きを経ることになる。
許容説では憲法論ではなく、立法論で決着をつけるべきとするので、憲法改正手続きを経ることなく、立法手続きで同性婚を合法化することができる。
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◆立法趣旨に遡る

憲法改正は重要な政策課題として俎上されるので、右派左派の思惑が絡み合うところで(面倒くさい)あるが、本稿は極力、政治思想を避けるつもりで書く。

先ほどの外国人参政権で紹介した判例を読んだ方はお気づきになられたと思うが、『国民主権の原理及びこれに基づく憲法15条1項の趣旨に鑑み』、『憲法第8章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み』とのように、条文や制度の趣旨目的を定めることが論の出発点となっている。
法律学では条文の趣旨に遡ることが法解釈の基本姿勢である。

ここで法学未修者のなかには〔条文の世界=法律の世界〕となってしまうからか、文言から離れているように覚えると”解釈改憲”という言葉をすぐ使う人がいるが、立法趣旨から文言を捉える姿勢は憲24条だけでなく、他の憲法の条文、民法、商法、刑法、民訴、刑訴、行政、経済、労働、環境、知財、医事、国際…あらゆる法領域で普通に行われている。
特異な話ではなく、むしろ、法解釈の基本のキ。

もちろん、条文は法源の一つで解釈の出発点ではあるが、明文にない原理原則は枚挙に暇がない。当該条文の趣旨目的に立ち返って規範を定立し、原則と例外を秩序良く織りなすことで法体系が作り上げられている(趣旨に遡って述べる論述試験は、資格試験のみならず学部レベルの試験でも同様)。

一方で、”なんでもアリ”にさせない必要もある。
そこで趣旨目的に照らして当該条文の射程範囲を画したり、公共の福祉(対立となる利益)からの利害調整を試みる。
とりあえず、条文の趣旨目的に遡る姿勢は法解釈の基本であるということ。

@追記@
たとえば、公園に『ここでサッカーをしてはいけない』という看板が刺さっていたとする。
文言からサッカーの禁止はわかるが、では、野球はどうか?テニスは?
文言にない場合は、なぜその看板があるか、その趣旨に遡る。
趣旨は論者によりけりだが、【球技を禁ずることで他の公園利用者に危害を与えないため】が趣旨であるとすると、これは野球やテニスにも同様なことがいえる。だから、これらも禁止される。
もっとも、公園の管理人は公園の運用について責任を持つので、彼の許可がある場合は、その判断に相当の信頼性を認めることができる。
よって、『原則、他の公園利用者に危害を与える球技は禁止されるが、例外として、公園の管理人が許可した場合はこの限りでない』とする。
論の出発は、『ここでサッカーをしてはいけない』の文言だが、そこから展開して規範を定立していくのが法学である。文言を引用して、杓子定規に適用して結論を出すのは早計である。

@追記2@
憲法9条との兼ね合いを気にする意見も散見されるが、24条と9条は論題が大きく異なる。
また、同性婚の論題は人権論に分類されるが、9条は国防という政治性の高いテーマゆえ、統治行為論との関係から司法が積極的に判断しにくい違いがあり、同列に語るのは困難であると思われる。

憲24条を捉えるには、なぜ24条が『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立』と定めた理由を考えなくてはならない。

◆『両性』=男女の指摘だけでは説明不足

両性を広辞苑で引くと、

①両方の性。雄性と雌性。男性と女性。
②二つの異なった性質

とある。
とするならば、24条の『婚姻』は男女の異性婚であると多くの人は考えると思う。
憲法は同性婚を想定していない!と。
・・・ここで論が終わる人が多い。
これは頭の中で〔要請説←→禁止説〕と二律背反で考えてしまい、”憲法は同性婚を想定していない→同性婚の保障を要請していない→だから、反対の<禁止>となる”と論が流れやすいのかもしれない。
しかし、許容説という、保障の要請と禁止のいずれでもない折衷説がありうる以上、この第三説から照らしてみると、”憲法は同性婚を想定していない→ということは保障の要請も禁止もしていない、あるいは、いずれもできない”と考えるのが普通ではないだろうか。
想定していないのだから、保障の要請も禁止もできっこない。
現に、在日外国人の地方参政権の話で最高裁は許容説を採用しているのだから、許容説の考え方そのものは否定できない。

なぜ、”憲法は同性婚を想定していないから、同性婚を禁止している”とまでいえるのか。禁止説で主張すべき論の要はここにある。
それは『両性の合意のみ』の文言に終始するのではなく、なぜそのような文言となったのかを考える必要がある。

憲法は国家を名宛としてその権力の暴走を抑止することで、国民の人権保障を目的とする(立憲主義)。24条が同性婚を禁ずる趣旨と解するのであれば、国家に同性婚を排斥させることで、何かしらの公共の利益の実現に通ずる説明をしなくてはならない。たとえば、男と女の親、子の3点セットで次代を継承していく『伝統的な家族制度の堅持にある』が憲法秩序に組み込まれているとか、そういった踏み込んだ主張をしてはじめて、”許容説ではなく禁止説”となる。
24条の要が伝統的な家族制度の堅持にあるとすれば、それにそぐわない同性同士の結婚は24条の趣旨に違反する。ようは従来の家族観(男-女-子)以外の家族の在り方まで、憲法は積極的に排斥しているとする理由を述べなくてはならない。

趣旨に遡ることで24条の射程範囲を画する。法解釈の基本である。
趣旨への言及が全くないと法体系が成り立たない。
説明不足をきたすと別のところで歯車があわなくなってしまうので、
法学では結論の前に理由が重要視される。
(繰り返しになるが、これは何も憲法24条に限った話ではなく、すべての法のあらゆる条文の解釈にいえる理である)

*付言すると、文言ばかりに頼っていると辞書が改定されたときに、
論そのものが破綻するように思える。
LGBTという言葉が爆発的に報じられた2015年からわずか2年後に、LGBTが広辞苑と教科書に掲載されるに至った。”性の多様性”の観点から、広辞苑側が「両性の意味を補足しましょう」と乗り出してきて、〔③性的指向や性自認が同一の者同士でも両性という場合がある〕云々と書き加えられたら、憲法改正ではなく辞書改定で話が決着してしまう。。

*また、法解釈のアプローチとして、条文から演繹して新しい価値観を認めるべきか否かというより、認めたい価値観が先にあってそれが既存の法体系に照らして許容できるか否かはというのはある。これは変動する社会に対して、柔軟に対応するため。
『問題の所在→問題となる条文を形式的に適用すると不都合な結果となる→では、どうするか→思うに〇〇法××条の趣旨はかくかくしかじか→したがって原則はコレ、例外はコレと考える(規範定立)→本件への適用(あてはめ)→結論』
↑この展開は法律の論文試験で書きます。司法試験だけではなく学部レベルの試験でも同じです。解釈の範囲で間に合うか、法改正を要するかは個々のテーマに関する法律や条文の趣旨内容による。だから、文言の紹介だけでなく、趣旨への言及は必須となる。

◆立法者の意思から

ここで、GHQの憲法草案(24条)をみてみる。
英単語がクソムズなので、以下、EMAからの引用。

Marriage shall rest upon the indisputable legal and social equality of both sexes, founded upon mutual consent instead of parental coercion, and maintained through cooperation instead of male domination.
(婚姻は、両性の、明確な法的・社会的平等に基づき、親による強制ではなく互いの合意によりなされ、男性優位ではなく2人の協力により保持されるべきである)

24条の『両性』は、上記の『both sexes』の訳である。
法曹界で散見される許容説は、24条の立法趣旨を”家父長的な家制度からの脱却”と考えている。
憲法草案の訳文から『親による強制ではなく互いの合意によりなされ』『男性優位ではなく、2人の協力により保持されるべき』との記述があり、このことから『両性』とはとりわけ、封建的な家制度のなかにある”婚約カップルの二者”を言いたかったように思える。

旧民法750条
『家族カ婚姻又ハ養子縁組ヲ為スニハ戸主ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス』

明治憲法下では戸主である父親の婚姻同意がないと結婚ができなかったそうで、24条は婚姻当事者だけの合意で婚姻を実現する、個人主義的な婚姻制度の確立にあるとの主張は合理性があるように思える。

また、24条2項の『両性の本質的平等に立脚』という点も、このGHQの男女平等思想に基づき、男尊女卑を解消させ、ことに、一方当事者と他方当事者(配偶者)の行為能力(契約などの法律行為を単独で有効に行える能力という法律用語)が対等であることを主眼に置いたと考えられる。

もし、〔個と個〕の結婚が24条の目的とするならば、同性婚の創設は24条の趣旨に抵触しないことになる。許容説は法解釈論として説得力が高い。

このように立法者の思惑に思いを馳せる解釈を立法者意思説というが、「法は生き物」といわれるように、条文の趣旨目的も時代とともに変化するので絶対ではない。
一方で、同性婚の禁止は時代の流れとは思えないので、GHQの草案をもとに実態的に考えていけば、やはり許容説が妥当ではないかと思う。

幸福追求権(13条)と法の下の平等(14条)を加味し、同性婚の創設を憲法は要請すると考える人もいるが、要請説では同性愛の先天性(嗜好ではなく指向だとか)や同性愛者の人権保障といった点で論者の価値判断にウェイトが置かれやすくなるので、許容説の方が無難ではある。

*補足しておくと、要請説の根拠の1つには、違憲審査権を有する裁判所の立場もある。政治の世界は多数決原理が支配する。当然、少数派は少数なので多数決の前では敗北しやすい。それを実効的に救うには、多数決によらない手法をとるしかない。
公選されない裁判官で構成される、非民主的な裁判所に違憲審査権(憲81条)が認められるのは、政治分野で押しつぶされた少数者の人権擁護を叶える最後の砦が司法であることを、憲法が要求している現れといえる。そこで、かかる場合は積極的な司法判断を踏み切るべきであり、同性婚の合法化についても憲法上の要請だと主張する。

*海外のサイトでは、『MarriageEquality』(婚姻の平等)や『FamilyEquality』(家族の平等)という文字を度々みる。平等原則からのアプローチは説得しやすいのだと思う。もっとも、合理的な理由があれば区別はできるので、結局、婚姻とは何を示すのかという問いに集約される。

*要請説はちょっと時期尚早なのでは?と思っていたのだが、平成31年1月23日、最高裁第二小法廷、性同一性障害特例法に基づく性別変更の要件の1つである「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」の合憲性が争われた裁判で、『これらの配慮(社会との摩擦)の必要性、方法の相当性等は、性自認に従った性別の取扱いや家族制度の理解に関する社会的状況の変化等に応じて変わり得るものであり、このような規定の憲法適合性については不断の検討を要するものというべきである』としつつ、『本件規定は、現時点では、憲法13条、14条1項に違反するものとはいえない』と判示した。→最高裁平成30(ク)269 
手術要件の撤廃は同性婚以上にハードルが高く、ネット上でも原告に対する批判的な意見が多かったのだが、決定文の言い回しはマイノリティー側に配慮しており、将来の判例変更の余地を残している。また、本決定には鬼丸かおる裁判官と三浦守裁判長の補足意見が付けられており、制度の趣旨や変遷、世界の動向などを述べたうえで、『本件規定は、現時点では、憲法13条に違反するとまではいえないものの、その疑いが生じていることは否定できない』と書かれてある。裁判官のなかにも思想は多様で、ひょっとすると同性愛者の人権を肯定する方が少なくないのかもしれない。
今年の2月14日に同性婚を求める集団訴訟が提起された。最高裁までいった場合は数年かかり、そのときの社会状況が司法判断に影響を及ぼす可能性は大いにある。
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◆総理の答弁

政府見解?ということではなさそうだが、2015年2月8日の参議院本会議員において、安倍総理は 『憲法二十四条は、婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立すると定めており、現行憲法の下では、同性カップルに婚姻の成立を認めることは想定されておりません。』と国会答弁したそう。
この点、野党の小西洋之氏が質問したが、応答がなく、彼が内閣法制局と法務省の官僚を呼んでヒアリングしたところ、かような解釈を出したのは安倍政権が初めてらしい。
あまり政治家の名前を出すと政治臭がして好きではないのだが、同性婚に関心がない総理は周囲にいた日本会議所属の者から聞いたものをそのまんま言っただけのように思われる。
日本会議って伝統的な家族制度を重んじていそうだし(よく知らないが)。

@追記@
立憲民主の逢坂誠二氏が提出した質問主意書
これに対する答弁書
『同性婚を認めるべきか否かは、我が国の家族の在り方の根幹に関わる問題であり、極めて慎重な検討を要するもの』としながらも、現行法で同性婚の成立が認められない理由では、民法や戸籍法で『夫婦』と記載されていることを挙げている。憲法24条の文言から同性婚を想定していないとあるが、同条で禁止されているとは言及していない。

ちなみに、現在の自民党の憲法草案では、

24条2項
『婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない』

となっており、現行の『両性の合意のみに基づいて成立し』と比べると、『のみ』の部分が除外されている。
聞く話によると、日本会議の百地章氏が家父長制の復活を企んでいるとのことだが、いまいちピンとこず…(今更、第三者の同意要件なんてつけられるのかな?)。詳しい話は専門家に譲る。

◆総括!

24条の趣旨については異論もあるところなので、
今後の議論が待たれるところではある。
いずれの説をとるにせよ、趣旨への言及は必要で、そこが欠けると法学的には説得力を失ってしまう。
憲法はどのような家族観を持つのか、あるいは想定した家族観以外の家族の在り方を許容するのか、それさえ禁ずるのか。

私的には許容説が妥当で無難だと考えるが、『伝統的な家族制度の堅持』という価値観も蔑ろにはできないと思っている。同性婚は幸せな人を増やすだけとの意見もあるが、同性カップルの公的な承認は国家の大きな方針決定であり、禁止説論者のなかには、”だからこそ国民投票を通じて実施を試みるべきだ”とする意見もある。
家族とは何たるかという大局したテーマであり、一度作れば後戻りはできないだろう。

仮に許容説を採用しても、立法的に許されるかどうかは再度、論争の対象となる。
右派はとくに同性婚の犯罪利用を懸念している。外国人に日本国籍を取得する新たな方途を与えてしまうと。同性婚推進派はこの点をどう答えるか、自身も興味がある。
また、仮に禁止説を採用した場合でも、異性婚とは異なる新たな婚姻制度(たとえばパートナーシップ制度)をつくる方法もある。
婚姻要件や効果は細かく突き詰める必要があり、それは専門家にお願いしたい。
各説の細かい突き詰めはここではしない。皆様の御意見を拝聴したい。
(下のコメント欄やお問い合わせからどうぞ)

*同性婚が合法化されたスピードは国によって異なるが、概ね5~10年ほど経過を要したところが多いように思われる。それもいきなりではなく、例えば、パートナーシップが認められたり、連邦国家の一部の州で導入の布石があったり、フランスのPACS、スペインのパレハ・デ・エチョのような事実婚関係に対する公認、シビル・ユニオン、社会保障の分野で明文として同性愛者の保障規定が存する立法が作られるなど、何らかの法制度が基盤にある状態から紆余曲折を経て全国レベルの合法化にたどり着いた。事情が各々異なるので一概に比較はできないが、日本では2019年4月現時点で20の自治体でパートナーシップ制度が導入されたものの、全てに法的拘束力はなく、また、渋谷区以外は首長の専断で改廃ができる要綱式なので、制度として極めて不安定で、かつ脆弱である。このような現状で法的拘束力を持つ全国レベルの法制化は時間を要すると思うのだが、ここ3~4年あたりでLGBTをとりまく急速な変化が起こり、予想がしにくくなってきている。
国連や国際的NGO団体、在日外国商工会議所、大手企業やメディア、四大法律事務所を筆頭とした法曹界からの強力なバックアップがあることも見過ごせない。

◆最後に…

婚姻からはやや反れるが、海外のLGBT事情を追っている身として一言。

同性婚を認めるならば、同性カップルの子育ても覚悟すべき。

国によって温度差はあれど、世界同時多発で繰り広げられている性の革命運動において、同性婚は大きな目標となりやすい。そして、同性婚と共に主張されるのが同性カップルの子育て。

女性同士であれば生殖補助医療技術を使って懐胎することができ、現に日本でもレズビアンカップルが隠れて子供を育てているらしい。男性同士は代理母を通さなくてはならないので生命倫理や国民感情と強く衝突するが、里親や養子縁組を通じて子育てをすることが可能である

婚姻は夫婦の法律関係で子育ては親子の法律関係だから、両者は本来、別々の論点ではあるものの、同性カップルの子育ては民法上の共同親権を求める根拠となり、しばし同性婚とセットで子育ての話が出てきやすい。また、昨今のLGBT運動の流れからしても両輪のように扱われている節がある。だから、同性同士の婚姻を認めるという人は同性カップルの子育ても覚悟しておいたほうがいい。

子育てとなると、子供の幼保や学校の行事に親がでていく機会がある。自分は独身なのでよくわからないが、同性カップルを隠し通すには限界があるのではないだろうか。
パパとパパ、ママとママがいる家族と異性愛者が対面する場面が増える。同性愛者が一般社会に浸透することにつながるが、LGBTが記事の世界から飛び出してリアルに現れたとき、果たして”普通”に振る舞える人は幾何なのか。
自分ならまだしも我が子に悪い影響を与えるのでは…そう考える人は少なくないように思える。そういった事態まで想定したうえで、同性婚論議を考えるべき。

海外政府や国連、多国籍企業からの要請や協力が絡む難しい事情もあるけれど、日本国民だけで多様な意見を出し合うことを望みます。

以上⊂(`ω´)⊃
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◆追記1

24条の趣旨については、【両性】の文言がGHQ草案のboth sexesに由来することから、草案から遡る手法が目立つが、別のアプローチでも構わない。
畢竟するに、国家の命題としての「婚姻とは何か、家族とは何なのか」という問いに行き着く。

ただし、婚姻制度を論じるのであれば「制度論」に留意する必要がある。 そもそも制度とは権利義務の話である。 我々は法律を意識しながら日常生活を送らないが、法律が急浮上してくる局面は何らかのトラブルに巻き込まれたときだ。 家族法(民法第4・5編)では最低限度の権利義務関係をあらかじめ構築しておくことで、関係者の利害を公平に分配するような仕組みが整えられている。制度というのは人を支える裏方であり、実際的なものでなくてはならない。

婚姻制度の不要論がネット上で散見されるが、権利義務関係をなくしてしまうと紛争の解決が著しく困難となる。 これは同性婚とは異なる話。家族法は財産法と比べれば条文数は少ないが、いろいろな定めがある。
また、他の婚姻類型(近親婚や重婚)を持ち出して同性婚を否定する論法も見られるが、実現していない他の例を引き合いに否認してしまうのは少々手荒い論法かと思われる。各々論ずるべき点が異なり、1つを認めたところで他が認められるとは考えられない。 仮に認められたとなれば、それは社会が変わって法も変わったということ。近親婚や複婚なども実際的な制度として一定のコンセンサスを得られれば合法化の道は開かれるだろう。 聞く話によると、今は禁止されている近親婚や複婚は我が国の歴史にも珍しくないほどあったそうだ。 つまるところ、婚姻制度はその時代ごとの判断が優先される。

また、婚姻というと文化や歴史の継承に言及する方もいるが、制度は「今を生きている人」が焦点になる。 イスラーム法系のように、長い歴史をもつ宗教と法律が一体化しているのであれば、歴史や伝統を俯瞰する必要性も大きいが、日本の法律は必ずしもそうではなく、社会の実態に即して変化をする。これは伝統的なしきたりより、現代人の実利が重視される結果。過去は過去。制度は権利義務の話であり、今現在を生きる人々の福利が実際的に適うかどうか、この着眼点は重要。

◆追記2

婚姻や親族の法的効果についてご質問を受けたので、以下その内容です。
家族関係の権利義務ですので、その関係の維持、一方配偶者に何かあった場合の措置、関係の修復や解消、解消後の利益分配が主な内容です。
親族関係の効果として…扶養義務、成年後見・保佐・補助開始の審判請求、婚姻・養子縁組の取消請求、親権停止・喪失の請求権。
婚姻の効果として更に…氏の共同、同居協力扶助義務、貞操義務、夫婦間の契約取消権、成年擬制、配偶者相続権。同居義務は強制できないのですが、一応家裁で審判手続きができるそうです。夫婦別産制の一方で、帰属先不明の場合は共有推定。婚姻費用分担義務、日常家事債務の連帯責任。調停など各種婚姻解消手続き。離婚時の財産分与と慰謝料請求。姻族関係の形成。失踪宣告の申し立て(民30条)の『利害関係者』も配偶者であれば認められます。
夫婦関係と親子関係は別々の法律関係なのですが、共同親権を媒介に子の財産管理権、身上監護権、嫡出否認や強制認知などの訴権。
また、2020年の7月から改正民法が施行され、配偶者居住権が新設されます。遺産分割でも要件を満たせば居住用不動産が遺産分割の対象とみなされなかったり、特別寄与料の請求が認められるようになります。細かいものを省いてこんな感じです。

民法以外にも配偶者や親族の定めはあります。
刑法では親族相盗例、訴訟法上では除斥事由など、証言拒絶権、告訴権者。税法分野では借用概念として、民法上の用語がそのまま税法に適用されます。戸籍法(戸籍交付、氏の変更など各種請求権)や住民基本台帳法。諸所の行政サービスに関する法規。社保分野は事実婚も含まれる場合があります。ただし、事実婚は法律婚に準ずるので同性間の事実婚が観念できず、微妙なところです(DV防止法は同性カップルへの適用がありました)。あとは、出入国管理の分野で配偶者ビザでしょうか。
(専門家の方で何かご指摘がありましたら、コメント欄にてお願いします)
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