現地レポート世界LGBT事情を読む5(ストーンウォール・イン)

1969年6月28日の夜、シェリダン広場近くのクリストファー通り53番地にある小さなバー、ストーンウォール・インで数百人のゲイが警察と対決し、LGBT権利闘争史上、最も有名な事件が起きた。そして、1年後の1970年、この暴動を記念した行進を行い、それ以来6月には「ゲイプライド」のパレードが世界中で開催されるようになった。

同性愛者の差別解消運動は(自分の知る限りで)1940年代から行われていました。
当時は「ホモファイル運動」と呼ばれて態様も穏健派が多く、政治的なスタンスはどちらかといえば保守寄りだったそうです。
その後、リベラル色彩の濃い現代のゲイ解放運動に転換したきっかけとなる出来事が、ニューヨークのゲイバー、ストーンウォール・インで起きた反乱。

↑ストーンウォール・インの外観。ここから全てが始まる。


↑店内は古めかしいレトロな内装で細長い間取り。お決まりのレインボー。

当時、ストーンウォールは限られた客のみ来店が許される会員制のバーで、店主が男性客同士で踊ることを許容していました。といいますのは、69年のアメリカではイリノイ州を除く全州で同性愛は違法行為とされており、男性同士のダンスは『公共の場における非規範的行動』(non normative behavior in public spaces)の容疑で現行犯逮捕の対象であったようです。ザル法の部類でしたが、薬物事犯や酒類販売無許可での取締り名目で、警察がゲイバーやクラブイベントにちょっかいを出していたので、店側の対応として多くのクラブでは男性客同士が踊ることを禁じていました。

今やゲイ開放運動の起爆点とされるストーンウォールですが、マフィアとの繫がりが囁かれたり、アル中や売春婦が出入りするなど、同性愛者の間ではあまり評判が芳しくないゲイバーでした。NY警察のガサ入れや嫌がらせも度重なり、象徴的なゲイスポットというより、むしろ当事者すら敬遠するほどに・・。
そんななか6月28日の深夜、8名の警察官が令状を手にしてストーンウォールにやってきます。身分証明書を持たない者、異性装者、トランスセクシャルや店の関係者など計131名がお縄を頂戴され、200名余りの同性愛者は逮捕を免れたものの、店外へ追い出されてしまいました。翌日午前3時頃、今まで溜まっていた鬱憤が爆発したのか、誰かが号令をかけたわけでもなく、その場に居合わせた者たちが突然、硬貨やレンガ、火のつけたごみバケツや駐車メーターなどを警察官に投げつけ、暴動が勃発。NYPD(ニューヨーク市警)の特殊部隊400名も応援要請を受けて現場に駆けつけ、町の一画が騒乱する事態にまで発展します。暴動は3日にわたり断続して続きました。脳震とうを起こす者もいましたが、ほとんどは軽症で済みました。その後、警察が取り締まりを強化し、一連の騒動は沈静。
以上がストーンウォール・インの反乱のあらまし。LGBT史のなかでは一大イベントとしてよく紹介されています。知ってる日本のゲイは少ないと思いますが(´・ω・`)
昨今のゲイ解法運動の源流は、このストーンウォールから始まったといわれています。
日本のプライドウィークは5月上旬に行われますが、世界各国のプライド月間が6月であるのはストーンウォールの反乱が発生した月に合わせているからです。
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同性愛者のバスティーユ事件とも言うべきこの暴動については、1969年6月29日、30日、7月3日付『ニューヨークタイムズ』が事実だけをごく簡単に報じる短い記事を3回掲載している(記事に「ゲイ」という表記はない。同紙は87年までゲイ表現の使用を禁止していた)40年経った今もこの事件には不明なところが多く、特にその発端については謎が多い。

今でこそ、ある程度の知名度を誇るストーンウォールですが、反乱の報道は左翼系のメディアでさえガン無視でした。ヴィレッジ・ヴォイスというニューヨークでは知れたリベラル派の情報雑誌では、『ホモたちのアイドルである有名女性歌手が薬物過剰摂取で逝去し、その葬儀のついでにホモたちが乱痴気騒ぎを起こしたに過ぎない』と一蹴してコケにされています。ストーンウォール・インの反乱の当初の評価は低かったのですが、ゲイ開放運動の象徴的な事件として、のちに権利活動家やクィアなどの専門家の手によって光を浴びたということですね。
それにしても、つい最近までgayという表現が使用禁止されていたのはちょっと意外です。性の多様性の表面化はここ数十年にほぼ凝縮されるということでしょうか。

ちなみに、ストーンウォール・インの反乱は映画にもなっています(2015年製作)


↑警察官に対して果敢に立ち向かったメインの人たちはトランスや異性装者が多かったところ、その事実を無視し、白人のゲイを主人公に抜擢したことから非難の声も上がっている。

現在のストーンウォールは古ぼけた雰囲気で、高齢の客が目立つそうです。ニューヨーカーもあまりにファギー(faggy:おかまっぽい)との理由で立ち寄らず、地元のゲイも「不当に過大評価されている店」と見なして、別のゲイバーフッド(ゲイがよくつるむ区域)に去ってしまいました。来店するのは専ら物見遊山にくる”外の世界の人”で、現地の人々にとっては過去の遺物なんだそうです。
ストーンウォールのあるヴィレッジ地区では地価の高騰もあり、小劇場が高級ブティックに変貌するなどジェントリフィケーションが進みました。すると、ゲイカルチャーだけではなく、あらゆるアングラ的なサブカルチャーが商業化・主流化の波に飲み込まれ、廃れてしまいました。これも権利運動の帰結でしょうか。
しかし、昔ながらのどぎつくて毒々しいゲイカルチャーが絶滅したかというとそういうわけでもなく、自由気ままなアメリカンゲイ達は別の場所で縦横にその気質を振るっているようです。ゲイの独特なノリは当事者だけではなく、一部のノンケにも需要がある?もの。需要が続く限り、それを満たすための代替手段はきちんと残されています。
良くも悪くも、マイノリティ側に生き方の選択肢が増えた結果でしょうか。

ちなみに、ストーンウォールは2016年にLGBT関連の建造物として始めて国定史跡に指定されました。オバマちゃん(民主党)の功績としてカウントされています。
Yes! we can!(ノ`Д´)ノ
make AMERICA great againの人は共和党や福音派の意向を気にしてLGBTを決めているみたい(`・ω・´)
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